こんにちは、ぴんちょすです。
今回はちょっとアカデミックな感じの話題。沼津市西熊堂にある「沼津市明治史料館」を訪れ、沼津市の歴史に触れてきました。
沼津市明治史料館
今回訪れたのは沼津市西熊堂(にしくまんどう)、国道1号沼津バイパス沿いにある「沼津市明治史料館」。
バイパス沿いということもあって前々から存在は知っていて、気にはなっていたもののなかなか訪れる機会がなく、今回新型コロナウイルスの影響からイベントごとも少ない中、空いた時間にふらりと訪れてみました。
入館料は大人200円、小人100円。市内の小中学生であれば無料で入館できます。
館内は4階建てで、1階は受付と図書館、2階は書庫や講座室、3階と4階が展示室になっています。
3階は中世(戦国時代ごろ)から近代(第二次世界大戦ごろ)にいたる沼津の歴史についてのスペースと、明治期の沼津の偉人「江原素六(えばら そろく)」についてと企画展スペース。
4階は明治期に沼津にあった教育機関「沼津兵学校(ぬまづ へいがっこう)」についての展示スペースになっています。
※館内撮影は基本NGのようでしたので写真はそれ以外で集めてみました。
3階:沼津の歴史を知るスペース
3階南側エリアは、中世から近代までの沼津の歴史を知るスペースになっています。
中世(戦国時代)には、いまの沼津市街地(沼津駅南口エリア)にあたる地域には「三枚橋城」がおかれ、そのあと廃城になったものの江戸時代後期にその跡地に「沼津城」がおかれ、沼津は城下町として栄えたそうです。
沼津市大手町の中央公園には、沼津城の本丸があったことを示す碑が建っています。
三枚橋城・沼津城についてはこのブログでも別途ゆるくざっくりまとめてあるのでそちらもどうぞ。
江戸時代・明治・大正を経て昭和の時代、第二次世界大戦の時には沼津市はアメリカ軍による空襲の被害にもあいます。
特に昭和20年(1945年)7月の沼津大空襲については史料館にも詳しく展示してあります。
昭和20年7月17日未明、マリアナ基地を出撃した米軍機130機は沼津を襲い、9,077発、1,039トンに及ぶ焼夷弾を投下した。これにより沼津市は、9,523戸を焼失、274人の死者を出すという被害を受けた。米軍記録によれば、この空襲により沼津市は都市面積の89.5%を破壊されたとされる。7月17日以前にも小規模な空襲を数回受けていたが、合計すると死者322人、重軽傷者634人、全半焼11,756戸、全半壊127戸というのが沼津市が受けた戦災被害であった。
沼津市公式サイトより
昭和20年(1945年)7月17日の大規模な空襲では沼津市の大手町交差点辺りを中心に9,000発以上の焼夷弾(しょういだん:ざっくり言うと建物を燃やすための爆弾)が投下され、都市面積の約90%が焼失した、とのこと。
史料館館内では空から大量の焼夷弾が降ってくる様子を、六角柱状の焼夷弾模型を大量に天井から吊す形で、目で見て体験できるように展示しています。
3階:郷土の偉人「江原素六」を知るスペース
3階の北側半分のスペースは、郷土の偉人「江原素六(えばら そろく)」についての展示スペースになっています。
そもそもこの明治史料館自体が、江原素六がかつて住んでいた屋敷の敷地に建てられたもの。
史料館の入り口のところには、江原素六の像も建っています。
江原素六、という人は幕末の江戸で下級幕臣の家に生まれ、その後沼津で活躍した政治家であり、教育家でもありました。
明治維新の後に沼津に移り住み、教育機関としての沼津兵学校や、その附属小学校の設立に関与したそうです。また女子教育にも力を入れ、江原素六が創立した私立駿東高等女学校は今の静岡県立沼津西高等学校の前身でもあります。
江原素六は沼津の産業発展にも力を入れ、愛鷹山で牧畜や茶業をすすめたそうです。
地元の農民が共同で使う「入会地(いりあいち)」だった愛鷹山の土地が国有化されそうになった時も、江原素六が政府に働きかけ、地元住民のために払い下げてもらったそう。
牧畜は伝染病や災害などがあり、続かなかったそうですが、沼津の愛鷹山麓のお茶栽培は今でも続いているもの。
ラブライブ!サンシャイン!!とのコラボで人気のボトル缶入り「ぬまっちゃ」も、愛鷹山麓の茶葉を使用したお茶です。
また「ぬまっちゃ」の題字も、江原素六がその前身をつくった、静岡県立沼津西高校の芸術家書道専攻の高校生によるもの。
実は何気なく美味しい美味しいと飲んでいた「ぬまっちゃ」も、江原素六との関わりが深いものだったんだなあと知りました。
4階:沼津兵学校についてのスペース
4階は明治期に沼津に設立され、江原素六も設立に関わったという教育機関「沼津兵学校(ぬまづへいがっこう)」についての展示スペース。
明治維新後、かつての沼津城の敷地内に近代教育機関として作られたのが「沼津兵学校」。
兵学校、という名前ではありますが、軍事だけを学ぶわけではなく、英語やフランス語、数学、図画(製図法や地図の書き方など)、体操(今でいう体育)など、今の学校教育にもつながる近代教育のさきがけ、となっていたそうです。
また明治史料館入口には沼津兵学校の門柱が残されています。
沼津兵学校の初代頭取(校長)についた哲学者・啓蒙家の西周(にし あまね)は、今の沼津駅近く、駅の西側を南北に抜ける「あまねガード」の南側あたりに住居があったらしく、沼津駅南口には西周のレリーフが建っています。
そもそもこの「あまねガード」の名前の由来が、そこに住んでいた西周の名前からとったもの、だそうで。ガードの名前にも歴史があるんですねえ。
沼津兵学校には附属小学校もつくられ、7〜8歳から入学することができたそう。
必ずしも兵学校に進学する人だけの学校ではなく、地元の農民や町人も教育を受けられた、ということです。
沼津駅南口エリアの上本通商店街には、「日本の近代的小学校発祥の地」として、かつて附属小学校があった場所に碑が建っています。
…ということで、しばしゆったり歴史展示に触れて、貴重な学びの時間を過ごせました。
小中学生の郷土学習に史料館を訪れるのももちろん、自分もいつか自分の口で子供に郷土史を語って聞かせたり、ということができたらいいなあ、としみじみ思ったり。
施設情報
- 沼津市明治史料館
- 〒410-0051 静岡県沼津市西熊堂372−1
- 開館時間:9:00〜16:30
- 入館料:大人200円、小人100円
- 定休日:毎週月曜日(祝日は開館)、祝日の翌日、各月最終の平日、年末年始(12月29日〜1月3日) ※詳細は公式サイトより
- 公式サイト:https://www.city.numazu.shizuoka.jp/kurashi/shisetsu/meiji/
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