こんにちは、ぴんちょすです。
今回は沼津のお隣、三島市におでかけ。日本100名城にも数えられた「山中城」の城跡を訪ねてきました!
「山中城(やまなかじょう)」は今の三島市にあったお城。国道1号線を沼津から三島・箱根方面にずーっと走っていくと、新しくできたバイパスと旧道の別れたあたりの道沿いにあります。
ラブライブ!と沼津にずっぷりハマる前は実は戦国がメインジャンルだった僕ぴんちょす、今でもお城めぐりは好きだったりします。
「日本城郭協会」の定めた全国100ヶ所のお城、「日本100名城」のスタンプラリーもあって、結構集めたりしてます。4分の1くらいは行ったような。
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日本100名城にリストアップされているお城は、静岡県内では掛川城(掛川市)、駿府城(静岡市)、そして三島市の山中城の3ヶ所。
もちろんどこも行った場所ではあるんですが、人の密集する場所を避けたい昨今、自分の趣味に興じつつ密を避けられる場所、として久しぶりに行ってみようかな、と行ってきました!
山中城跡で現在見学ができるエリアは、北側(画像の右側)にある本丸エリアと、南側(画像の左側)にある岱崎出丸(だいさきでまる)エリアの2つに分かれています。
山中城は、戦国時代末期の永禄年間(1560年代)に、小田原に本城をおいた後北条氏が築城しました。
その後天正17年豊臣秀吉と不仲となった北条氏政は、秀吉の小田原攻めに備え、急遽堀や岱崎出丸(だいさきでまる)等の整備、増築を行ないました。
三島市観光Webサイト より
先に作られた方が本丸エリアで、豊臣秀吉の小田原攻めに対抗して増築されたのが岱崎出丸、ということでしょうか。
なお豊臣秀吉の攻撃に備えて増築された山中城ですが、4千人の防衛隊に対して攻撃側は4万人、という10倍の兵力での総攻撃を受け、わずか半日であえなく落城。ということです。
しかし翌天正18年(1590年)3月29日、増築が未完成のまま、4万の豊臣軍の総攻撃を受けました。
北条軍は4千で、必死の防戦もかいなく鉄砲と圧倒的兵力の前にわずか半日で落城したと伝えられています。
三島市観光Webサイト より
山中城跡に車で向かう場合、岱崎出丸エリアの近くに大きな駐車場があって、そこにとめることができます。
駐車場近くには、戦国時代よりももう少し後、江戸時代に整備された主要道路としての東海道の、小田原宿と三島宿を結ぶ箱根街道の石畳が復元されています。
江戸時代の人が小田原と三島の間を行き来するときには、こういった石畳の道を歩いたんだなあ、と物思いにふけってみたり。
山中城跡の南側エリア、岱崎出丸(だいさきでまる)エリアは、今では芝生が広がる広場となっています。
豊臣軍の侵攻に備えて、敵を攻め込みにくく土を盛り上げた土塁の跡を見られたり、出丸からは南西方向の三島・沼津の市街地を広々と眺めることができます。
戦国時代はきっとここにやぐらが立っていて、もっと遠くまで見渡せたのかな、とか、北条氏の本拠地は小田原だから、敵が攻めてくるなら三島・沼津方向からだよな、とかそんなことに思いを馳せてみたり。
岱崎出丸の後は、いったん車道を横切って本丸エリアへ。
本丸エリアには本丸、二の丸、西の丸、北の丸と細かくエリアが仕切られています。
それぞれのエリアでも広々とした芝生になっていて、ちょうど天気も良くていい景色。
こちらでは城の用水池として使われた「箱井戸(はこいど)」や「田尻の池」を見ることができたり。
そうだよな、お城を守る兵士も水は飲まなきゃだし、ご飯炊くにもお水が要るし…と当時のお城の攻防戦をリアルに感じてみたり。
本丸エリアの西の方、西ノ丸では非常に特徴的な「障子堀(しょうじぼり)」という堀の跡を見ることができます。
通常のお城に見られるような堀と違って、障子の格子のような形で細かく仕切られているお堀。
これは防衛戦の時に、まるで蟻地獄のような格好で敵を登りにくくする効果と、また雨水などを溜めておいて用水池とする効果もあったんだとか。
今でこそ形態保護のために芝生や樹木で覆われていますが、戦国時代の当時は滑りやすい土で覆われていたらしく、なおさら登りにくかったそうです。まして重たい鎧を身につけていて、そこを弓矢や鉄砲で狙われたらひとたまりもない。
障子の格子の形、とは言われつつもどちらかというとベルギーワッフルみたいに見えてきたり。お腹空いてきた。
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ちなみに城跡の売店では「障子堀ワッフル」ってのが販売されているとか。商魂たくましや。
また西ノ丸からはこれまた沼津・三島の市街地や愛鷹山、また雲がなければ富士山も綺麗に見える見事な眺望です。
西ノ丸を見学した後は、いよいよお城の中心部、本丸・天守台跡へ。
とはいえいわゆるお城としてイメージされる建物「天守閣」が残っているわけではなく。
戦のための防衛拠点、ということから立派な建築物が建っていたというよりは遠くを見渡せるやぐらのようなものが建っていたのでしょうか。
本丸エリアでも防衛のために土を盛り上げた土塁の跡が残されています。
自然の地形をうまく利用して敵を攻めにくくする工夫が凝らされています。実はこの自然の地形を活用して、これもお城によくある「石垣」が作られていないのもここ山中城の特徴なんだとか。
本丸エリアもじっくり見学し、また街道のそばまで下りてきます。
街道沿いにあるお寺「宗閑寺」さんには、城を守っていた北条軍の武将だったり、攻撃側だった豊臣軍の武将だったり、そういった人たちの眠るお墓があります。
当時の激しい戦いに思いを馳せながら、静かに手を合わせます。
最後に駐車場近くの売店に戻ってきます。
ここの売店ではお蕎麦やお団子などの軽食が頂けたり、また日本100名城のスタンプもここに設置されています。
実はもう7年も前(というと沼津に越してきて1年足らずの頃)にもうスタンプ捺しに来てました。当時はスタンプ捺すだけで全然勉強してなかったなあ。
スタンプにはベルギーワッフル障子の格子の形状が特徴的な「障子堀」がデザインされています。
ということでちょっとした歴史探訪を楽しんできました!
なかなか人でごった返すような場所でもないですし、三密を避けたハイキングがてら訪れてみるのも楽しいのでは。