こんにちは、ぴんちょすです。
沼津港エリアの「港口公園」に先日2020年11月1日建立された、第二次世界大戦中に多くのユダヤ人の命を救った「命のビザ」で知られる外交官「杉原千畝(すぎはら・ちうね)」と幸子夫人の顕彰碑。
早速見に行ってみました!
全国的にも有名な観光地、沼津港。
その沼津港の賑わいをちょっと離れて、大型展望水門びゅうおのちょっと北側。
小さな憩いの公園「港口公園(みなとぐちこうえん)」があります。
大型展望水門「びゅうお」の北側にある公園です。公園から間近でライトアップされた「びゅうお」を眺めるのもお勧めです。「沼津港」や「びゅうお」に立ち寄った際の休憩スポットとしても利用できます。駐車場が整備されているため、土日になると多くの来園者でにぎわっています。
沼津市公式サイトより
規模は小さいながら、観光地の賑わいから離れたホッと憩いのひとときを過ごせる公園です。
沼津港のお店でテイクアウトしてきたご飯をここでのんびり食べる、なんてのもいいかも。
外交官「杉原千畝(すぎはら・ちうね)」という人物。
第二次世界大戦に至る時代に、ナチス・ヒトラー政権下のドイツにおいてユダヤ人の人々への迫害が行われていたのは有名な話。
その頃、リトアニアの日本領事館領事代理だった杉原千畝。
ナチスの迫害を逃れて安全な国に逃れようとするユダヤ人が「日本を経由して国外に出るためのビザを発給してほしい」と殺到したんだそうです。
ビザが発給されなければナチスの迫害を受けるユダヤ人は安全な国に逃れられず、ナチスドイツに殺されてしまうかもしれない。でも本来であれば本国の許可なくビザを発給することもできない。
ポーランドからリトアニアに逃亡してきたユダヤ避難民が、閉鎖間際の日本領事館に通過ビザを求めて大勢殺到しました。緊迫した中、本省と連絡を取り合う千畝。苦悩の末、「発給要件を満たさぬ者へのビザ発給はならぬ」という本省の命令に背き、命の危機が迫るユダヤ人に対し、「首になっても構わない、人道上拒否できない」と、条件をつけずにすべてのユダヤ人に対し、ビザを発給する決心をしました。
杉原千畝記念館公式サイトより
自分の立場よりもユダヤ人の命を、人道を優先した杉原千畝の行動から発給されたビザは「命のビザ」として多くの命を救ったそうです。
このエピソードは美談として語り継がれていて、僕自身も今回の顕彰碑の話題以前にも何度も聞いたことのあるお話。
その杉原千畝の奥様、幸子夫人の出身地がここ、沼津なんだそうです。
港口公園の中、開けた場所に、建立されたばかりの顕彰碑が建っていました。
飾られていたのは杉原千畝と幸子夫人のお顔のレリーフ。
そのそばには杉原千畝と幸子夫人の功績をたたえる看板も。
杉原千畝が「命のビザ」で救ったユダヤ人は約6,000名にものぼり、その子孫にあたる人々はいま現在、約25万人にもなるそう。
勇気ある行動が多くの命を救った、本当に偉業と言えます。
杉原千畝の「命のビザ」のエピソードは以前から何度も耳にしていましたが、その夫人が沼津出身、というのは今回初めて知りました。
沼津港エリア、ということもあって美味しいお店や観光スポットも多く、オススメしたい場所はたくさんあるんですが。
たまには少し賑わいを離れて、「命のビザ」杉原千畝と、沼津ゆかりの幸子夫人の功績に思いを馳せてみては。