こんにちは、ぴんちょすです。
今回は休日にお散歩。
沼津市西部、原・浮島エリアにある城跡「興国寺城址」に行ってみました。
小田原北条氏の祖、北条早雲公ゆかりの場所、ぬまづの宝100選にも選ばれた場所です!
沼津市根古屋「興国寺城址」
今回お伺いした「興国寺城址」、沼津市の西部エリア、原・浮島エリアにあります。
県道22号線、いわゆる「根方街道」沿い、「根古屋」の信号のすぐそば。
車でちょっと上がると広い駐車スペースもあって、車で訪れることもできます。
ここ「興国寺城址」は「ぬまづの宝100選」にも選ばれた史跡。
戦国時代のこの土地の歴史に触れられる貴重なスポットです。
気軽にお散歩にも来られるスポット
ここ「興国寺城址」、小田原市の小田原城で有名な北条氏のゆかりの場所。
小田原北条氏の祖、北条早雲公、もとの名を伊勢新九郎盛時と言っていたころに、初めて城主となったのがここ沼津の興国寺城だったそう。
城跡には「駿州興国寺城」の文字と共に、北条氏の家紋「三つ鱗」がデザインされたのぼり旗が立っています。
城跡には途中まで舗装された道路が整備されていて、のんびり歩くにもちょうどいい感じ。
ちょうど彼岸花が綺麗に咲いている時期で、遊歩道の周りにも真っ赤な花が咲いていました。
小田原北条氏の祖、北条早雲公ゆかりの地
北条氏、といえば北条氏康公、北条氏政公、といった人物が有名で、小田原城を拠点に関東一円を支配した大名家。
その北条氏の祖、北条早雲公、はじめ「伊勢新九郎盛時」と名乗っていた人物が、初めて城主となったのがこの興国寺城。
伊勢新九郎盛時は今川氏との関係も深く、盛時の姉である北川殿が駿河守護今川義忠の正室ということです。
この今川義忠という人物は有名どころでいえば今川義元の祖父にあたる人物。当時の駿河国(静岡県中部・東部)としてはかなり大きな勢力を持つ大名家です。(今川義元、といえば桶狭間の戦いで織田信長に倒された、というイメージが一般的ではありますが…笑)
そんな縁から伊勢新九郎盛時が今の沼津市の原・浮島エリアにある興国寺城を与えられたのが1488年のことのようです。その後北条氏は勢力を拡大、のちに小田原を中心に勢力を拡大していきます。
戦国時代に関東一円を支配した後北条氏の祖である北条早雲の旗揚げの城です。
興国寺城跡|見る・遊ぶ|沼津市公式観光サイト【沼津観光ポータル】 (numazukanko.jp)より
北条早雲は、初め伊勢新九郎盛時と称し、駿河の今川氏に身を寄せていました。今川氏の家督争いによる内紛を鎮めた功により、1488年頃、富士下方12郷を与えられ、興国寺城主となりました。現在、本市により整備が進められています。国指定史跡となっています。
遊歩道を少し登ったところには「初代城主 北條早雲碑」の石碑も立っています。
この興国寺城ゆかりの北条早雲、伊勢新九郎盛時には、その存在にちなんだ地元のお菓子も。
沼津のお菓子処「雅心苑」さんからは、「新九郎最中」というお菓子が発売されています。
関連記事:【沼津グルメ】沼津ゆかりの戦国武将「伊勢新九郎盛時」に想いを馳せて!雅心苑「新九郎最中」 | ぴんちょすの沼津ライフ (numazulife.com)
ちなみにその北条早雲碑の隣には、のちに興国寺城の城主となった「天野康景」という武将の石碑も立っています。
徳川家康に仕えた武将で、「彼是偏(どちへん)無しの三郎兵衛」と称される、偏りの無い公平な人物だったそうな。
この石碑と近い場所には、「続日本100名城」のスタンプも設置されていました。
姫路城や松本城、松江城といった日本各地の名城100ヶ所を数える「日本100名城」に続いて、さらに100ヶ所の名城を選んだ「続日本100名城」のひとつに、ここ興国寺城が選ばれています。
(ちなみに沼津近辺だと、三島市の山中城が「日本100名城」に選ばれています。)
戦国ロマンに思いを馳せる!天守台跡まで
石碑のあるエリアからは階段でさらに上に上がることもできます。
階段の中腹には戦国時代を思わせる石垣の遺構も。
そして少し登ると、天守台跡と伝えられる広場に着きます。
ここ伝天守台跡からは、原・浮島エリアの街並みや駿河湾、伊豆半島まで遠く見渡すこともできます。
戦国時代、ここを本拠地とした武将たちも、同じように駿河湾や伊豆半島を眺めたりしたのかなあ…なんて思いを馳せたり。
ということで今回は、ぬまづの宝100選、続日本100名城にも数えられた、沼津市根古屋「興国寺城址」をお散歩。
気軽に訪れて楽しめる歴史ロマン、ぜひ休日などに楽しんでみてください!
施設情報
- 興国寺城址
- 〒410-0309 静岡県沼津市根古屋428